自分の身に降りかかって、初めて理解できることは多い。
むしろ、世の中は経験しないと分からないことだらけだろう。
実際、その立場にならないで、心の底から理解できる人間などいないのではないだろうか。
虐められた。
毒親に育てられた。
パワハラを受けた。
セクハラを受けた。
虐待されていた。
浮気された。
社長の立場になった。
現在の社員の立場。
その病気になった。
全く覚えがないのにネットで叩かれている。
私はセクシュアルマイノリティだ。
障害を持っている。
コミュ障なんです。
薬物依存から脱却したい。
冤罪をこうむっている。
被災した。
何年も家から出ていない。
勉強がわからない。
子供が不登校だ。
親が認知症になった。
ストーカー被害に遭っている。
リストカットが止められない。
身の周りやネット上で、あることに対して文句や訴えていることがあり、その内容が自分の知らないことで否定的な意味に感じたとする。
99%の未経験者が一斉に、訴えをした人を責める。
最初に訴えを起こした人が悪く見えるが、1%の同じ経験をした人からは、その文句を言っていることは言葉足らずだと思いつつも理解でき共感もできるが、その思いは届かない。
また、責める人は、その立場になっていないから、なった人の立場を理解できないのは当然であり、また全ての立場を知ることはできないのも然り。
そういう時に大事なのは、理解できないことがあったときに、自分とは違う考えに寛容になれるか、相手を思いやれるか、相手の立場を想像できるかだと思う。
そして、不寛容さに不寛容になってもいけないと自戒を込める。
おしまい。